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 二十年後の札幌  〜 想い、あるいは長期計画 〜

現在の小学校3年生は28歳になっている。30歳の青年は50歳になっている。60歳のシニアは80歳になっている。塾に通い数字に強くなった子供は、どんな大人になって いるだろう。ゲームに興じ、自分の住所も漢字でかけない中学生はどんな大人になっているだろう。自分の仕事をこつこつと一所懸命にこなしている青年はどんな大人になっているだろう。定年後も元気に社会参加していいる壮年はどんな風に年を重ねているだろう。

「ちびっこメディア」の活動は、学級新聞の枠をこえて、自分の街の魅力を伝えることの喜びを持つ子供を何人札幌に作り出すだろうか。その子達が、30代を迎えるとき、 この街と世界にどんな貢献する子供に育っているだろうか。小学校はどんな風に変わっているだろう。多くの大人が、いろいろな仕事の話をしてくれる場所になっているだろうか。教員と親と、教員でも親でもない大人が学校の運営を同じ責任で行っているだろうか。

シビックメディアは子供が地域の課題を発見し、解決の方法を提案できる道筋を作ります。そして、その子が大人になったときに、地域を構成する重要な市民であることを望みます。

戦後の学歴社会を生きてきた世代が四世代を重ねる中、食べるために精一杯だった時代と比べると、生き方の一つ一つに、多くのストレスを受けて子供を押しつぶさない世の中になっているだろうか。現在、地域のコミュニケーションが手に届く範囲だったころとはくらべものにならない、争いごと、孤独が、社会にも、家庭にも、深い 痛みとしてよこたわっている状態は解決しているだろうか。コミュニケーションの新たな進歩で、味合わなくてもよい痛みを少しでも減らしているだろうか。

シビックメディアは、悲惨な現状を憂う局所的な報道よりも、街の主体者として、取材したことを積み上げた、決意と行動の基点になる報道を目指します。

労働時間は短くなっているだろうか。一日のうち、家の外で働いている時間はどのくらい短くなっているだろう。あるいは長くなってしまっているだろうか。一人は一生にひとつの仕事しかしないだろうか。人と話していると、ものを作る時間はなくなる。ものばかり作っていると、人々が何を求めているかわからなくなる。人と話す時間 と、ものを作る時間のバランスがうまく取れている街になっているだろうか。

シビックメディアは、労働時間、労働の質、正当な賃金を、働くもの自身がコントロールするための取材と制作を行います。

北海道の農業は、変わらずにおいしいものを作っているだろうか。北海道の沿岸漁業は、森の恵みを受けて、豊かであり続けるだろうか。農民、漁民は自らの役割をよ く知って、社会のなかで誇り高く暮らしているだろうか。

シビックメディアは、北海道の自然に立脚した産業の正しい発展を応援する取材・制作を行います。地元で安全に作られた農産物を活用する流通と、消費の体制をつくることを応援します。森林を守り、海の豊かさを守る活動を応援します。札幌が、大消費地として、道内の農産物を正しく享受できること、札幌の人々が北海道の自然の力を十分に理解し、破壊しないための一切の活動を応援します。

札幌に暮らす人、訪れる人はどんな気持ちで札幌の街を見ているだろう。この街の魅力は、気候の変化や、産業構造の変化をくぐりながら、輝きを増しているだろうか。人々はこの街を愛し続け、ここで暮らすことを選択し続けているだろうか。

シビックメディアは、札幌の魅力の探訪を自ら進めるとともに、札幌の魅力を商品化し努力する産業の応援をします。

札幌にはどんな産業が栄えているだろう。札幌にはどんな文化が栄えているだろう。

シビックメディアは、札幌在住の作家、舞台関係者、画家、音楽家、芸術家を応援します。そのことが、札幌らしい文化の創出につながるように努力します。

日本、世界のなかで札幌はなにができるだろう。慣習にとらわれない街、歴史の新しい街も、200年を迎えるとき、どんな因習ができあがり、どのような硬直がおこっているだろう、逆に、どのような豊かさを身につけ、どのような文化を目指しているだろう。

シビックメディアは、思慮深さよりも、失敗を恐れない挑戦を応援します。そして、札幌の実験が、日本国と世界にむけて、新しい取り組みの参考になることを望み、報道を続けます。

札幌のメディアとジャーナリズムはどのように成長しているだろう。

シビックメディアは、地域の情報をそこに暮らす立場で活動するすべてのメディアと個人を応援します。ジャーナリスト、広告、広報、など情報にかかわるプロフェッ ショナルの仕事に敬意を払い、個人の思いを伝えるメディアを自ら構築すると同時に、メディアがパブリックアクセスを保障できるように、行き過ぎた商業主義から一定の自立を獲得するように行動します。

札幌市民は、自らの街を、自ら治めていられるだろうか。現在の経済の仕組みの末期的な現象、国家、地方におこる財政の破綻のなかで、札幌は、北海道の大地と市民の働きでどのようなルールと暮らしの文化を育てているだろう。

シビックメディアは、自らの暮らしを見つめ、自らの暮らす街の本来あるべき姿を、取材活動のなかで考え続けます。私たちとともに成長した市民ジャーナリスト が、この街の自治に貢献し続けることをその一番大切な役割とします。情報は社会の血管を流れる血液であり、神経です。運動し、工夫し、使い続けてこそ、能力は開花し ます。私たちは、流れる血となり、痛みや、心地よさを伝える神経となることを決意します。

2004/7/15 更新 (2002/11/12 初版)

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